18.02.2012 [写真]
天気にはついている方である。というよりかなりだ。
昔は晴れ男どころか自由自在だなどと暴言を吐いていたこともあった。
しかし毎回撮影ごとに一生続くかというとわからない、
最近はこっそりついていると言うようになった。
今週の月火は福岡出張の予定だった。
そんなこんなで過信していて、土曜の朝に月火は天気があまりよくないと知る。
直前に無理を言って日曜日から福岡に行く事にした。
そして前の日記に書いた写真の撮れるボディーキャップ付きイオスを首からぶら下げ
福岡へとむかった。

快晴の福岡が出迎えてくれた。

やはり翌日は午前中は雨。
午後から雨はやみだし夜景の撮影は無事できそうに。
学校は線路にほど近いところにある。
月曜から土曜は学校側にも駅の出入り口が使えるが日曜は閉鎖されているらしい。
商店街は反対の改札側にあり学校近辺はコンビにすらない。
そして歩いて反対側に行くにはかなりの時間を要する。
撮影の為に必要なものをコンビニまで買いに行かなくてはならず、
入場券をかって線路の向こう側まで行く事にした。
¥320の徒歩の旅。

なぜか風情のある道のり、

ずっとつづく

改札を抜けるとそこは、、、

そして短い旅は終わる、

翌日は雨、早朝より東京へ戻る、
ホテルのフロントで空港まで¥2000で行けるというタクシーチケットをもらう、
雨の中の¥2000のドライブ、
おもちゃイオスは固定焦点、あまり近いものにはピントがこない、
タクシーの窓ガラスは雨だれで外がよく見えない、
ボディーキャップレンズの前に老眼鏡をかざして、少しでも手前にピントが来るように、
そして空港まで老眼鏡をつけたカメラでの撮影会は始まった。




再来月再びここを訪れる、
また首からおもちゃをぶら下げて、、、
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01.02.2012 [写真]
31.01.2012 [写真]
何年か前にカメラ屋でふと見つけたもの。
カメラのボディーキャップに穴があいていて、レンズがついている。
キャップをしたまま写真が撮れる。
もちろんおもちゃのような代物。
そこがよい。。。。どんな絵が撮れるのかつい買ってしまう。
昔6×6のカメラのキャップに自分で穴をあけ虫眼鏡をつけて作ったことがある。
似たようなものだ。
このシリーズにはシフト機能がついているものまであった。
もちろんそれが欲しかったのだが、あいにくキャノン用は売り切れ、
仕方がなくノーマルのものを購入、が、その後シフト用は僕の前には現れていない。
昨日の朝、というよりまだ夜中、目覚めたと同時にそのレンズを思い出す。
イオスキッスに装着してロケに持って行こう。。

ということで豊橋まで、すでに車中でもずっと首から下げている。

そして撮影中もずっと、、、、、、、

とある住宅地。
暇を見つけては仕事の合間に撮影会が始まった。







明日も持って行こ!!!
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22.01.2012 [写真]
村松伸さんとの共著「アジアンスタイル」が出版されたのは1997年。
15年も前の事になった、その数年前から二人のアジア行脚は始まった。
SDの台湾特集がそのきっかけとなった。
紺碧の台灣。

台湾の最南端、墾丁に僕らはむかった、真っ青な海と蒼い空。
むせ返るような夏の台湾。
高雄、台中、台南、台北。真夏の夏を満喫した旅だった。。。。
明日は春節。
昨夜は気の早い台湾人がホテルの下の路上で花火をあげていた。

朝目覚めカーテンを開けてもそこに日は射さない。

雨にすっぽりぬれた、一日の始まり。
撮影は今日の夕刻よりなので町を歩く。

そこにはあのギラギラした紺碧の台灣の面影はない。
東京のような寒さはないが、それでも春節前の朝の町は静けさと寒さに包まれている。


植物の植生をみると、南国の面影も見られるが、、
あのギラギラした町とはほど遠い。
この雨と、人の気配が少ない町が、センチメンタルな気分にしてくれる。

十二時間後、撮影が終わってほろ酔い気分で出た町は、
爆竹と花火でにぎわう、、、
ギラギラとした、、、春節の台灣を見せてくれるだろう。
今年二度目の大晦日に乾杯。
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21.11.2011 [写真]
昨日の日曜日、即興楽団UDje( )の仲間の青柳ひづるさんの音と踊りのコンサートが行われた。
成城の清楚な住宅地のはずれにその会場はあった、外見には何のことない住宅、しかし中に入るとそこは7mの天高のホールとなっていた。。。。。
ひづるちゃんのダンスとピアニストの重松壮一郎さんの即興で奏でる音楽。
ゆったりとした昼下がりの時間帯にそれは始まった。

タイトルは「希望の萌芽」

「東日本大震災以後のこの世界でそれぞれ感じていることを重ね合わせます、」とはパンフレットよりの一文。

ファインダー越しに彼女の舞を見、周りからは重松さんの音、時に僕が目にした被災地の風景が頭によぎることがある。被災地を撮り続け、ある都市の始まりとして、淡々と記録して行くというのが僕の被災地との接触の仕方なのだが、ときに車で移動していて、ちらりと見た何かに関して、とても切なくなることがある。その感覚がよみがえる時があった。
なおも彼女は舞い続ける。




やはり被災地に赴いているお二人、


「暗闇のなかの大地にも、芽が出て、希望の花が咲く。いま感じているすべてを力強く表現し、祈り、捧げます。」と語るお二人。

確かに発芽した。

その芽を大切に育てるのは各自にゆだねられている。
花咲くその時まで。

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15.11.2011 [写真]
もう何年も前、まだカバン持ちの頃、夕刻の撮影が終わり宿泊のため京都に行った。そこはビジネスホテルではなく、京の町屋。我々以外に宿泊客はいない、詳しい状況は覚えていないのだが、同行したデザイン事務所の番頭さんが京都通で予約してくれた宿だった。宿にはおばちゃんが二人、普通に生活している感じ、荷物を置いて街に出て一杯呑む。ほろ酔い気分で宿に戻るとおばちゃん二人は居間でテレビを見ていた。落語をやっている、確か桂枝雀師匠だったと思う。僕は大の落語好き、枝雀さんも大好きだ、普通ならば一緒にテレビ鑑賞にのめり込み、一席じっくりと聞きたいところ、そうもできず、ただ京都という地で、上方の噺が夜中に流れている風情に感慨の気を持ちつつその場を立ち去った。遠巻きに感じた上方の風情。時はゆっくりと流れていた。
これまた昔、当時バイクに夢中だった僕は中津川林道を越えて川上村までツーリング、そこから塩山まで、また林道越え、塩山にほど近くなってきたあたりに友人がセルフビルドで山小屋を作っているというので立ち寄る。そろそろ夕刻も近づいたとき山小屋作りにいそしむ友人たちのベースへ着く。トランジスタラジオからは小さな音でロットスチュワートの曲が流れていた。聞き入るでもなく流れるその音は山の中に響きやがて訪れるオレンジ色の空を出迎えていた。

音楽でも、落語でも、本当に聞きたい時、まさにこれというものにどっぷりと浸かっていると周りのものは見えなくなり、深くその世界へとのめり込む。でもそれらの音なり、思いなりと、適当な距離を持って接した時、また違う感覚が訪れてくる。運転中にわずかに認識し通り過ぎたた景色、通りすがりに目にした絵画、遠くでわずかに聞こえてくる祭り囃子、適当に距離を置いた感覚。これはこれでまた心地よい。

街歩きをして都市を撮る。僕のとても好きとしている撮影行為、「都市歩き」。都市を見つめているときある意味少し距離を置いて眺めている。が、撮影という意味ではその中にどっぷりと浸かっている。そして、僕が撮ったいじょうその距離を遠くに持って行くことは難しい。そんな写真を何枚も並べて行う写真展。その会場に何日かいると、いつの間にか一枚一枚の写真に対する感情が薄れて行くことがある。空間にあるのはただ四角い景色が羅列しているだけ、一枚が放つ感情は感じず空間があるのみ。光沢のある写真に反射して時折見えてくる外の景色、思いもよらない光景をちらりと感じながら過ごす時間。自分の撮った写真と最も距離が離れている、そんな時がある。


あるモノやコトから少し距離を置いた時の心地よさもまたよいものだ。さてさて、僕は
いつ、自分というところから距離を離して自分を感じられるようになるのだろうか、まだまだ修行は続く。。。

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08.11.2011 [写真]
青。蒼。碧。Blue。
八月のお盆前、福島県の矢吹町に行った。
大正ロマン館はそこにあった。
街の商工会が立てた看板には、ここは産婦人科医師屋形貞氏が大正9年に竣工し、昭和40年代まで開業していたこと。街に活力を与える為、明るい話題を提供する為、平成7年にライトアップ作戦を初めて春夏はスカイブルー、秋冬はセピア色の照明を点灯する旨。それを始めたきっかけの一つとしてその年起きた阪神淡路大震災や直接明記はしていないがおそらくオーム事件等、沈みがちな時代だからこそこの企画を始めたと書いてある。
そしてそこの中に入らさせていただける機会を持った。
青い空間。

秋冬のライトアップのせいではない。
母屋から入れてもらったそこは青い空間が広がっていた。




イヴ・クラインのような、あお。
これは作品でもなく、ブルーシート越しに漏れる光。

震災で壊れたエントランスは、応急処置のブルーシートで覆われていた。

そういえば、この街で、いくつもあおを見かけた。





あれから三ヶ月。街はどうなっているだろう。
何度も三陸の帰りに通過はしているのだが、なかなか訪れる機会を逃している。
向いの大木代吉本店の酒を買いつつぜひまた立ち寄りたい。
あの日の朝、町外れの宿泊施設で見た景色、

あのあおだけはずっとこれからもあおくあり続けてほしい。
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02.06.2011 [写真]
前出、5/29のライブは台風のため中止になってしまいました。。。
詳しいインフォメーションはまた追っていたしますが、我らが即興楽団UDje( )は、
2011年7月2(土)ルミエール府中フロアコンサートに出演いたします。
そんな音作り、会場作りのイメージ作りのためメンバー数人で諏訪大社に行く。

はじめに僕の大好きな建築。「神長官守矢史料館」へと足を運ぶ。

ここを訪れるのは二十年ぶりぐらいになる。

この地方の小さな神社や祠には四隅に御柱が大社同様置かれている。

まつり、結界、祈り、などを考えつつ四つの諏訪大社巡りが始まる。
はじめに上社、前宮へと向かう。


その後上社本宮へ行き、続いて下社秋宮へと行く。
駐車場からちらりと見える建物、なにか工事中の模様。
改修工事。なんとも間の悪い時にきてしまったと思いつつ社殿へと向かう。
おぉーーー。
なんと、、、、
工事中の神楽殿。。。。。
我々は絵に描いた社に向かい手を会わすという仕掛け、

なんとも斬新なアイディアに脱帽。
そしてパシャリ。。。。。
はい、側面も忘れてはいませんでした。。。。。。

掛けまくも畏き 伊耶那岐大神
筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓え給いし時に 生りませる 祓戸大神たち
諸々の禍事・罪・穢 有らんをば
祓え給い 清め給えと 白すことを 聞こしめせと
恐み 恐みも 白す
ちゃお!
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19.05.2011 [写真]
11.05.2011 [写真]
黄金週間まっただ中。東北へ向かった。
千葉工業大学の石原研究室の皆さんが「Playground Supporters」なる支援活動を考え、まずその事前調査も含めて三陸を中心に視察するというので同行させていただいた。
5/1夜。千葉工業大学を出発。まだ日の出には少し早い時間に南三陸町、戸倉地区に着いた。

正直、テレビで見ているのとその場に立ち尽くしてみたのではまったく違う感情が産まれる。

日の出間近の風のつよい志津川町をしばらく歩く。

そして北へとすすむ。










全壊、半壊、浸水、場所により、地形によりさまざまな被害状況、それぞれに違った大変さを抱えているようだ。道を走っていると、その高さによって津波警戒地区と解除の看板がたくさん見受けられた。津波が来ることは予測していた土地だったのだ。幸いにもその高さにより津波から逃れた家もまだ水はきていないということだった。
気仙沼、陸前高田、釜石と北上。
石原研の皆さんは午後に志津川町の学校関係者の方と会わなくてはいけない、北上は釜石までとし志津川町へと戻る。志津川町へと戻ってきたところで僕だけ街に残り撮影開始。

今回は三台のカメラを持って行った。
ひとつは、都市歩きに愛用している大型カメラ。
この状況の記録、そして今からどのようにこの地が変貌していくのか淡々と記録をしてみようと思った。

二台目は一眼レフ、その時その時眼に止まったものを記録する為。


そして三台めは。「チェキ」。
撮影中に出会った人々の写真を撮って、その方々に差し上げようと思い持参した。
しかし、被災地のみを歩いていた我々はそこに暮らしていた人々と出会うことはほとんどなかった。
まだとてもそんな状態ではなく、そこでは瓦礫を撤去する自衛隊の方々が黙々と作業をしてくれていた。まだまだこれから何度もこの地を訪れ続けるつもりだ。「チェキ」は必ず持って行く、早く出番がくるまでの街になることをひたすら望み、祈るばかりだ。

二日目は石巻、女川へとまわる。




女川で遭遇したビルには驚いた。基礎から折れて横転してしまっていた。




想像した以上の事の重大さにあらためて驚いた。
なにができるか、なにをすべきか、
何度もその地に足を運ぶことは間違いない。
そのなかで、
すこしでも、
なにかがみえてくれば、
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