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11.03.2013 [写真]







3.11 あの日から二年が経った。もう二年なのかまだ二年なのか。

あの地震で犠牲になった 方々のご冥福をあらためて祈るとともに
被災者の皆様へ心よりお見舞い申し上げます。












おおきな被害はなかった東京にいながらも、入ってくる情報に驚きと落胆を感じ、それ以前とその後では何かが変わった気がする。以前にも書いたが、阪神淡路大震災が起った時、ジャーナリストでもない僕が被災地にいって邪魔にはなってもそれ以外になんになるとおもい、かたくなに行くことを拒否した。そして今回は、東京も被害は少ないもののやはり揺れた、そして、母方が東北ということもあり対岸でおこった気がしなかった。なぜか被災地にいって記録をしなければと思った、が、やはり邪魔になるようなことは慎みたい、はじめて三陸のあの光景を見たのは五月のはじめだった。









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その後継続的にその地に赴いて、記録することにしている。
これも何度も言っていることだが、記録すること、それはどこへ向けていつに向けて、ということに関して、おそらくそれまでは、ちょっとだけ先の未来に対し記録しようと考えていたのだが、この地で撮影しているとき、もっとずっと先の未来に対して記録を残そうと、そんな思いが強くなった。



二週間ほど前、低気圧が荒れ寒気団がきていた2/23-24と大槌町吉里吉里に行った。










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あの日、多くの人々に対して荒れ狂った海もその日は静かにずっとそこに、何事もなかったように存在していた。











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電車が走ることもなくなった線路も静かに佇んでいる。




二年間でどう変ったんだろう。。。









去年の10月にも大槌町を訪れた。






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確かに僅かづつでも進展はある。









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小さい変化。











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確かにがれきは少なくなった。





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夏草に覆われて人々が住んでいた痕跡さえも見えなくなることも、、、、









よく11月には南三陸町、志津川を訪れた。








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夕刻着いた時、地盤沈下している海岸近くは海水が道に溢れていた。











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今まで陥没して通れなかった道が通行可能になっていた、、、、、






わずかだが変化はある、でも遅すぎる。
そこに暮らす方々にとってはその変化の速度はあまりにもはがゆい。。。






これも前に書いたが、初めて被災地にいったとき僕は三つのカメラを持っていった。
4×5の大型カメラとモノクロフィルム。
デジタル一眼レフ。
そしてインスタントカメラ「チェキ」。
街の写真を大型カメラで撮りつつチェキで街の人を撮り写真をあげようと思って出向いた。
が見事に思惑は外れた、あれほどひどい状況の場に街の人々がぶらぶら歩いている訳がない、
そしてそれから1年間何度か通ったが、仕事や何か目的のある人以外ほとんどそこに人影はなかった。
が、昨年秋あたりから、日常としての人影が被災地にもときたま見れるようになってきた。。。




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波に飲み込まれたこんなところでも、散歩をする人に出会うようになってきた。







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やはり人の気配のある街はよい。。。














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この子達がおおきくなっているころはどんな景色になっているんだろう。。。。





その時まで、ずっと見続ける、記録し続ける、何百年も先の人々の為に。


















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